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東京高等裁判所 昭和50年(う)1672号 判決 1976年1月23日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人小原健提出の控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意第一ないし第三点について

所論は、要するに、原判決が被告人に対し刑法一一八条一項の瓦斯漏出罪の成立を認めたのは、同法の解釈を誤り、事実を誤認したものであるというのである。

そこで記録を検討すると、刑法一一八条一項の生命に対する危険についての原判決の解釈ならびにこれを本件において認めた原判決の認定はいずれも正当として肯認することができる。すなわち、同法に所謂生命に対する具体的な危険が発生したというためには、瓦斯を漏出させることによって、人の死亡が確実視される状態あるいは所論がいうように人の死亡に密着するほどの危険な状態になることは必要でなく、瓦斯漏出の時刻、量、動機・目的、漏出場所の構造等当時の具体的な事情のもとで、通常生命を侵害するおそれがある状態になれば足りるものと解され、原判決が「人の生命を失わしめるに至る蓋然性が認められるような状態」というのも右と同趣旨と考えられる。そして、記録によれば、被告人は、自分と関係を有していた甲野花子がいつものように自分の部屋にやってこないのに立腹し、一度目は午後一〇時三〇分ころ同人とその夫の甲野太郎が奥の二畳半の間で就寝しようとした時刻に、二度目は翌午前二時ころ右太郎は既に眠り、花子もその傍らにいた時刻に、二間と台所、便所から成る狭くて換気のよくない同人方に忍び込み、同人らが気付かないまに、玄関わきの台所のガスコンロの栓を全開させて都市瓦斯を漏出させ、そのまま同所を退出して自室に戻ったことが認められ、これらの事実に徴すると、被告人が瓦斯を漏出させたことにより、太郎及び花子の生命に具体的な危険を生ぜしめたことは明らかである。その他所論にかんがみ記録を検討しても、原判決に法令解釈の誤りや事実の誤認は存しないから、論旨は理由がない。

なお、所論は生命に対する危険の発生につき認識を要すると主張するけれども、右の認識は不要と解されるから、この点の論旨も理由がない。

同第四点について

所論は、被告人は本件各犯行時心神耗弱の状態にあったのに、原判決がこれを認めなかったのは事実を誤認したものであるというのである。

そこで検討すると、記録によれば、被告人は、当日二、三軒飲屋で飲酒し、ある程度酩酊していたこと、このため犯行直前被害者方前廊下で大声で叫ぶなど非常識とも思える行動をしたことは認められるが、行為の是非を弁別し、これに従って行動する能力が著るしく減弱するほど酔っていたとは認められず、犯行時完全な刑事責任能力を有していたことが認められるから、論旨は理由がない。

同第五点について

所論は、原判決の量刑不当を主張するものである。

そこで記録を精査し、当審における事実の取調べの結果をも参酌して考察すると、本件は、被害者甲野花子と一〇年来肉体関係を続け、その隣室に住んでいた被告人が、当日酒を飲んで帰宅したところ、いつも部屋に姿を見せる同女がこなかったため腹を立て、二度にわたり、合鍵を使って同女とその夫がいる部屋に侵入したうえ、都市瓦斯を漏出させた事案で、幸い二度とも早期に発見されたため大事に至らなかったものの、その行為は危険きわまりないものというべく、しかも、最初瓦斯を漏出させた際、警察官がくるなどして大騒ぎになったにもかかわらず、再び同じことを繰りかえしたことは弁解の余地がない。被害者の甲野花子は年上にもかかわらず積極的に不倫な関係を続けていたもので、この点強く非難されるべきであるが、その夫については何も責むべきところはない。このような事案の性質、態様のほか被告人の前科、年齢、生活態度等にかんがみると、被告人の刑責は軽くないというべきで、他面において、被告人の反省の態度、家庭の事情、その後の生活態度等所論が指摘する被告人に有利な諸般の事情を考量しても、被告人に対し刑の執行を猶予すべき情状があるとはいえず、被告人を徴役一年に処した原判決の量刑はやむを得ないと判断されるから、論旨は理由がない。

よって刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することとして主文のとおり判決をする。

(裁判長裁判官 寺尾正二 裁判官 山本卓 田尾健二郎)

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